風流踊風流踊

UNESCO Intangible Cultural Heritage of Humanity Furyu-odori

綾渡の夜念仏と盆踊 あやどのよねんぶつとぼんおどり Yonenbutsu and Bon-odori in Ayado

地域:

愛知県豊田市

重要無形民俗文化財指定年:

1997(平成9)年

保護団体名:

綾渡夜念仏と盆踊り保存会

連絡先:

豊田市生涯活躍部美術・博物室文化財課
471-0079 愛知県豊田市陣中町1-21-2
TEL:0565-32-6561 FAX:0565-34-0095
bunkazai@city.toyota.aichi.jp

 綾渡の夜念仏と盆踊は、標高500mを超える山間部に開けた集落である愛知県豊田市綾渡町に伝承される盆の芸能であり、新仏(1年の内に亡くなった人)のある家を回り、その霊を慰めるための行事である。現在は、家々を回ることはなくなったが、8月10日の施餓鬼と15日の観音供養の2回、平勝寺(へいしょうじ)境内で行われている。
 夜念仏は、日没頃から綾渡地区の人々が行列を作って境内を歩き、鉦(かね)を叩きながら、念仏を唱える。それに引き続き行われる盆踊りは、歌に合わせて、三味線や太鼓を用いずに、下駄の音とともに輪になり手踊りを行う素朴なものである。
 境内にある綾渡集会所に保存会の人びとが集まり、鉦や平笠(ひらがさ)などの用具を整え、夜7時過ぎに、平勝寺参道入口の「幟立(のぼりたて)」と呼ばれる場所に夜念仏を行う男性たちが移動し、寺に向かって行列を整える。人びとは平笠をかぶり、浴衣に角帯(かくおび)をしめ、腰に白扇(はくせん)をさし、下駄を履く。行列の先頭と最後に一人ずつ、それぞれ切子(きりこ)灯籠を棒から下げたものを持つ者が立つ。地元では、この灯籠を「折子(おりこ)灯籠」あるいは単に「折子」と呼び、それを持つ者も「折子」と呼んでいる。先頭の「折子」の次に香炉(こうろ)を両手で捧げ持つ「香焚(こうたき)」と呼ばれる者が一人並ぶ。この「香焚」は全体の統率者で「年行事」と呼ばれる役の者がなる。その後ろに、左手に直径約10cmの鉦と、右手に撞木(しゅもく)を持った人びとが縦二列に並ぶ。この二列の先頭の二人を「音頭(おんど)」と呼び、音頭に続く人びとを「側(がわ)」あるいは「側衆(がわしゅう)」と呼ぶ。最後は先に述べた「折子」である。なお、先頭の灯籠には極楽が、最後の灯籠には地獄の様子が描かれている。
 夜念仏は、参道入口で行われる「道音頭(みちおんど)」から始まり、この「道音頭」を唱えながら行列は平勝寺へ向かって進み、平勝寺山門下の石仏の前など、合わせて5か所で立ち止まり、行列の隊形を変えて、それぞれで決まった念仏を唱和する。立ち止まって念仏を唱和するときは、石仏などに向かって半円形に並び、その半円形の中央に「香焚」が立ち、それを取り巻く形で、半円の両端にそれぞれ「折子」が立つ。場所を移動する途中は行列に戻り「道音頭」を唱える。立ち止まる場所とその場での念仏を列記すると、石仏前での「辻回向(つじえこう)」、平勝寺山門での「門開(もんびら)き」、寺の境内に入り観音堂の前での「観音様回向」、その隣の神明社前での「神(かみ)回向」、平勝寺本堂前での「仏(ほとけ)回向」である。これらの念仏は、いずれも、まず「音頭」が一句を唱え、続いて「側衆」が全員で次の句を唱和し、途中で鉦を打ちながら続け、全体で1時間半ほどになる。
 夜念仏が終わると、平勝寺境内の中央に2基の「折子灯籠」を立て、それを中心に人びとが輪になって盆踊を行う。夜念仏を見物していた女性や子どもも加わり、歌い手である「音頭とり」の歌に合わせ、踊り手も「はやしことば」を歌いながら踊る。踊りによっては、右手に扇を持ち、これをひるがえして踊る。伴奏の楽器は何もないが、人びとは下駄を履き、その下駄が境内の砂地を一斉に踏んだり、けったりする音が、軽やかな伴奏になっている。踊りは「越後甚句(えちごじんく)」や「御嶽扇子踊(おんたけおうぎおどり)」「娘づくし」など10曲ほど続く。
 綾渡の夜念仏は、かつては綾渡地区の15歳から35歳の男子によって構成される「若連(わかれん)」が行っていたが、現在は保存会によって継承されている。もともとは、旧暦の7月1日に練習を始め、10日に平勝寺の観音堂前で一通りを演じ、13日から16日にかけては、地区内外の、その年に亡くなった人があった、いわゆる新仏の家からの招きに応じて出かけていって夜念仏と盆踊を披露し、17日には平勝寺境内で演じた。現在のように、新暦の8月10日と15日に行うようになったのは昭和40年ころからである。
 綾渡の夜念仏と盆踊の始まりは明確ではないが、旧足助町内には12基の「夜念仏供養塔」があり、その最も古いものは寛政6年(1794)の銘があり、また隣の旧旭町にも10基以上の夜念仏供養塔が確認されるので(『足助町誌』1975年刊)、江戸時代には夜念仏が周辺各地で広く行われていたと考えられる。しかし現在も、夜念仏と盆踊を一連のものとして行っているのは綾渡だけとなっている。 綾渡の夜念仏と盆踊サイトへ(外部サイト) 風流踊一覧へ